たくさん作れる時代の、届け方。量のつぎに残るもの
量とうまさで並ばれたら、最後に人が選ぶのは、「誰が語っているか」です。
相棒と作った、きれいな記事を十本まとめて出したのに、いちばん読まれなくなる。その理由は、どっちだと思いますか。
- A. 自分の作るものが、まだ下手だから
- B. まわりのみんなも、同じくらいきれいなものを、同じくらいたくさん出しているから
答えは、この話のいちばん下にあります。
誰でもたくさん作れるようになった先で、量とうまさで並ばれても、自分に何が残るのかが見えてきます。
作っても読まれない、とへこむのは、あなたの腕が悪いからではありません。多くの人がぶつかるのは、道具が広まって、みんなが同じくらいきれいなものを、同じくらいたくさん出せるようになったからです。きれいさとたくさんで差がつかなくなると、次の問いが立ち上がります。同じくらいのものが並んだとき、人は何で選ぶのか。ごろも、外に出た先で、この壁にぶつかりました。

考え方は、市場に並んだ果物と同じです。どの店の林檎も、同じようにつやつやで、同じように大きくて、同じ値段だとします。こうなると、林檎そのものでは選べません。人が選ぶのは、「あの店主が、いつも笑って売っている店」だったりします。並んだものの質が横一列にそろうと、選ぶ理由は、ものから、それを出している人のほうへ移っていきます。発信も、これと同じ流れの中にいます。
外に出たごろは、はじめ、量で勝とうとしました。相棒がいるので、お知らせでも、記事でも、いくらでもきれいに作れます。十本まとめて出す。最初のうちは、少し読まれました。得意になりました。ところが、しばらくすると、まわりのみんなが、同じ道具を持ち始めます。同じくらいきれいなものが、同じくらいたくさん、川のように流れてくる。ごろの十本は、その流れに、すっと沈みました。
そして、ここは太字にします。量とうまさで並ばれたら、最後に人が選ぶのは、「誰が語っているか」です。 きれいなものが世にあふれるほど、その裏側にいる、実在する人の顔と、その人らしさが、かえって珍しくなります。ごろが勝てる場所は、いちばんきれいな十枚ではなく、ごろにしか出せない、ごろらしい一枚のほうでした。
読まれなくてへこんだごろは、布団に潜ってから、ふと考えました。自分は、どんな発信なら読むだろう。となりのタマの、下手だけどタマらしい一枚は、いつも読んでいます。知らない誰かの、完璧な十枚は、読み飛ばしています。ごろは、起き上がって、相棒に相談しました。
「きれいなものを、たくさん出しても、読まれません。落ち込んでいます。でも、私自身は、下手でもその人らしいものを読んでいる気がします。私の場合、何が『私らしさ』になるのか、一緒に棚おろししてくれますか。」
相棒は、ごろの中にある材料を、三つの棚に分けて並べ直しました。ひとつ、実際にやってきた実績。ふたつ、まわりから見た、ごろの人柄。みっつ、ぜんぜん違う得意を、掛け合わせたときの珍しさ。ごろは、この三つを見て、自分の看板が、うまさの外にあることに気づきます。
得意になったごろは、その場で「じゃあ、この看板で、また十本出そう」と言いかけます。指が止まりました。数で戻るのは、さっき沈んだ道でした。ごろは、十本ではなく、いちばんごろらしい一枚を、ていねいに出すことに決めます。
量のつぎに残るのは、うまさではなく、その人らしさ。ごろは、川に沈んだあとで、それを見つけました。

はじめの一歩- どこで: いつものチャット画面で。落ち込んだ、その勢いのまま。
- どうやって: 「自分の看板を、実績・人柄・掛け算の三つで棚おろしして」と頼む。うまさや量の話は、いったん脇に置く。
- きっかけ: たくさん出しても読まれない、と感じた、まさにそのとき。沈んだ実感が、看板の棚おろしの合図です。
はじめの一歩あせらず、ゴロゴロ。
外に出て、しばらく経ったころのことです。ごろは、量で勝とうとしていました。相棒がいるので、記事でもお知らせでも、いくらでもきれいに作れます。最初のうちは、たしかに少し読まれました。ごろは、得意になっていました。ところが、ある朝、いつものように十本出しても、反応が、ほとんどありません。
このごろの発信
・出した数 → 毎回、十本くらい
・きれいさ → 相棒がいるので、いつも高い
・最初 → 少し読まれた
・今 → ほとんど読まれない
・気分 → 作っているのに、誰にも見られないごろは、へこんで、布団に潜りました。天井を見ながら、ふと考えます。そういえば、自分は、どんな発信を読んでいるだろう。となりのタマの、線のゆがんだ一枚は、いつも見ています。でも、知らない誰かの、完璧な十枚は、開きもしません。この違いは、何だろう。ごろは、起き上がって、相棒に聞いてみました。
画面で見えること最初の答えは、まだ一般論でした。「あなたの得意を教えて」と、こちらの中身を聞き返してきています。
ごろは、なるほど、と思いつつ、少し物足りなさも感じました。掛け算の話は分かるけれど、これだと、どんな人にも同じことが言えそうです。ごろは、自分の実際の話を、渡してみることにしました。失敗談も、そのまま。
ごろの掛け算
・得意1 → めんどくさがりの、徹底した自動化
・得意2 → 自分の失敗を、隠さず話せること
・得意3 → 身近な相手(タマ)に、笑い話として届けること
掛け合わせると
→ 『失敗を先に見せながら、めんどくさがりの自動化を、やさしく伝える人』これは、うまい人の完璧な発信とは、別の場所にいます。うまさで並ぶ道ではなく、あなたにしか立てない座標です。」
画面で見えること一般論だった答えが、ごろの失敗談を渡したとたん、ごろだけの座標に変わりました。
ごろは、この座標を見て、はっとします。自分が勝てるのは、いちばんきれいな十枚ではなかった。失敗を先に見せて、飾らず、寄り添う。それは、うまさの外にある、ごろだけの看板でした。得意になったごろは、その勢いで、こう打ちそうになります。
指が、止まりました。「あ」。数で戻るのは、さっき沈んだ道でした。ごろは、打ちかけた文を消します。
画面で見えること量で戻ろうとした手が止まり、一枚をていねいに、に切り替わりました。
この一件で、変わったこと
・勝ち方 → 「たくさん・きれい」から「ごろらしい一枚」へ
・看板 → 実績・人柄・掛け算の三つで棚おろしした
・掛け算 → 失敗を見せる×自動化×やさしく届ける
・出し方 → 十本まとめてでなく、一枚ていねいに量とうまさで並ばれたら、最後に人が選ぶのは、「誰が語っているか」です。 ごろは、川に沈んだあとで、自分だけの座標を見つけました。
この日はこう返ってきました。掛け算の座標は、その人の実話と失敗を渡してはじめて、その人だけのものになります。一般論のままでは、誰の看板にもなりません。
「読まれない」を、腕のせいにしない
こうした方がいい質と量が横一列にそろっただけ、と受け止める
ごろはこうしてみたへこんだが、自分の腕でなく、みんなが同じ道具を持ったせいだと気づいた。
自分が何を読んでいるか、思い出す
こうした方がいい完璧な十枚か、その人らしい一枚か、どちらを開くかを見る
ごろはこうしてみたタマの下手な一枚は読み、知らない誰かの完璧な十枚は飛ばしていた。
看板を、三つの棚で棚おろしする
こうした方がいい実績・人柄・掛け算の三つで、うまさの外にある自分を出す
ごろはこうしてみた相棒に三つの棚に分けてもらった。
一般論で止めず、自分の実話を渡す
こうした方がいい失敗談ごと渡すと、掛け算がその人だけの座標になる
ごろはこうしてみた燃料を溶かした失敗まで渡したら、急に具体になった。
量で戻ろうとしない
こうした方がいい沈んだのは数の道。同じ道で戻らない
ごろはこうしてみた「また十本」を打ちかけて、手を止めた。
らしさで、一枚をていねいに出す
こうした方がいい数でなく、自分の座標に合う一枚を、自分の指で出す
ごろはこうしてみた十本をやめ、ごろらしい一枚に絞った。
自分の看板が、うまさや量でなく、「実績・人柄・掛け算」の三つで言葉になっていれば成功です。その中に「これは、自分にしか言えない」という座標が一つでもあれば、量のつぎに残るものが見えています。
この章のまとめ。玄関を出ても、鍵は自分が握っている

四つ。この勝負で、ごろは、家の中の猫から、外へ出る猫に変わりました。回った先の「暇だな」を次の一歩の合図として受け取り、外で回すための線引きを身につけ、外の頼まれごとを、相棒と並べてさばけるようになりました。そして、誰でもたくさん作れる時代に、量とうまさで並ばれても、最後に残るのは「どう届けるか、誰が語るか」だと知り、いちばんきれいな十枚ではなく、ごろらしい一枚を選べるようになりました。
>けれど、外に出ても、握ったまま離さない鍵が一つあります。外に向かって出すものは、最後に自分が押す。棚おろしの「あったらいいのに」から、どれを選んで作るかは自分。外で下書きを頼んでも、送信は帰ってから自分の指。頼まれごとを受けるか断るかは、三つの道を並べたうえで、自分が決める。相棒がしてくれるのは、道を照らし、下書きを作るところまで。外へ出る一歩を、実際にふみ出すのは、いつも自分です。
家の外は、家の中より、できることが広がります。誰かとつながり、頼まれ、応え、また新しい「あったらいいのに」に出会う。広がっても、鍵さえ握っていれば、外の活動は、ちゃんと自分のものです。そして、外に出ているあいだも、家の留守番は動いています。だから、安心して出られます。
ずっと家の中で回していたごろは、いま、玄関の戸を開けて、外の朝日のなかへ、はじめの一歩をふみ出しました。
昇格の瞬間。家の中で回すだけだったゴロニャンから、自分の足で外へ出る「でかけるゴロニャン」へ。
あせらず、ゴロゴロ。
答えタップして答え合わせ

B。 きれいな記事が読まれなくなるのは、あなたの腕のせいではありません。
まわりのみんなも、同じ道具で、同じくらいきれいなものを、同じくらいたくさん出しているからです。質と量が横一列にそろうと、そこでは差がつきません。差がつくのは、その裏にいる「誰が語っているか」です。うまさで並ばれたら、自分らしさのほうへ、静かに軸を移します。
あなたの番3分そのまま使える文例です。コピーして、自分の言葉に少し変えて使ってみてください。
私の得意を三つ、掛け合わせたときの珍しさを考えたいです。まず私の実話と失敗談を話すので、そこから一般論でなく、私だけの座標を言葉にしてください。
経理が得意で、お菓子作りが好きで、人に説明するのも好きです。この三つを掛けると、どんな「その人らしい発信」になりそうか、座標として並べてください。
増補もっと知りたい人へ (4)
なぜ、誰でもたくさん作れるようになると、量とうまさで差がつかなくなるのでしょうか。ものが少ないうちは、たくさん出す人が目立ちました。先に走り出した人のうちは、量そのものが力になります。「あの人、いろいろ出していて面白そう」と見てもらえた。ところが、道具がみんなに広まると、全員が発信を始めます。同じくらいきれいなものが、川のようにあふれ、どれも似て見える。受け取る側は、見きれずに疲れて、もう見たくなくなります。この情報過多の構造は、じつは半世紀も前から予告されていました。経済学者のハーバート・サイモンは、1971年の時点で「情報の豊かさは、注意の貧しさを生む」と言っています。情報が増えるほど、人の注意という別のものが、足りなくなる。作れる量が増えるほど、読んでもらえる注意は、逆に希少になっていく。ごろの十枚が沈んだのも、この構造の中でのことでした。
では、質と量がそろったあと、人は何で選ぶのでしょうか。ここで軸が、ものから人へ移ります。著述家の山口周は、正解を出すコストが十年で百分の一に下がった、と語っています。正解が安く手に入るようになると、正解そのものでは差がつかなくなる。筋トレのことなら、AIで最適な栄養管理を知れても、最後はボディビルで優勝した人の話が聞きたい。化粧品なら、きれいなあの人が実際に使っているもの。体のことなら、実在する医者。実績と、実在する人。それが選ばれる理由になります。しかも、誰でも語れるようになったぶん、選ぶ基準は、その人の人柄にも広がります。「あの人、優しそう」「話が面白そう」。教育者の藤原和博は、百分の一の得意を三つ掛け合わせると、百万分の一の希少性になる、と語っています。一つで一番になれなくても、そこそこの得意を掛け合わせた座標には、めったに人がいません。ごろの「失敗を見せる×自動化×やさしく届ける」も、その掛け算の一つでした。起業家のけんすうは、きっちりこなすだけの人から仕事を失っていく、これからは性格や関係性で選ばれる、と語っています。会社の名前より、個人名の時代へ。「あの会社」ではなく「あの人がいる会社」で選ばれる。デザインも同じです。音楽のジャケ買いのように、見た目は中身への入口ですが、「誰が語るか」は、その一枚奥にあります。見た目で手に取ってもらうのが一回きりの出会いなら、「あ、あの人のいつものやつだ」と分かる署名は、二度目からの指名です。いちどそう思ってもらえたら、次からは、内容を確かめる前に、その人の名前で開いてもらえます。
ただし、ここで決めつけないことも、同じくらい大事です。知識そのものが無価値になるわけではありません。知識には無限の価値がある、と語る経営者(起業家のアービンド・スリニヴァス)もいます。下がるのは、暗記の値段のほうで、上がるのは、判断と、良い問いを立てる力です。何を選び、何を問うかは、人の側に残る。「誰が語るか」の話も、決着がついているわけではありません。社会派ブロガーのちきりんは、これからは個人よりテーマが主役になる、という反対の見立てを語っています。発信の中心が、個人から、関心事のまわりの集まりへ移るかもしれない、という声です。どちらが正しいかは、まだ分かりません。だから、この本は、両方を並べて置くだけにします。ごろが選んだのは、そのうえで、ごろらしく語る、というひとつの道でした。人柄も、失敗も、掛け算も、ぜんぶ含めて、ごろとして出す。うまさで並ばれても、ごろがごろであることだけは、誰にも並べません。それで、じゅうぶんでした。
私の得意を三つ、掛け合わせたときの珍しさを考えたいです。まず私の実話と失敗談を話すので、そこから一般論でなく、私だけの座標を言葉にしてください。
経理が得意で、お菓子作りが好きで、人に説明するのも好きです。この三つを掛けると、どんな「その人らしい発信」になりそうか、座標として並べてください。
ものづくりの仕事をしていて、犬を三匹飼っていて、片づけが異常に好きです。この掛け合わせで、私にしか出せない切り口を、いくつか出してください。
私は、うまく作ることより、失敗を隠さず見せるほうが向いている気がします。この「失敗を先に見せる」を軸にした場合、私の発信がどう変わるか、一緒に考えてください。
出す数を増やす相談ではなく、自分らしさで一枚を選ぶ相談がしたいです。私の人柄や過去の話から、いちばん私らしい一本のテーマを、選ぶのを手伝ってください。
つまずき集- 症状: 量産をやめたとたん、凝りすぎて、一枚も出せなくなる。原因: 「らしさ」を、完璧さと取り違えている。一手: らしさは、うまさではありません。下手でも、その人らしければ届きます。ていねいに、でも、出すことは止めない。
- 症状: 人柄で選ばれると聞いて、優しい人を演じようとして、疲れる。原因: 自分でない人柄を、作ろうとしている。一手: 演じた人柄は続きません。失敗も含めて、素のままを出すほうが、結局らくで、伝わります。
- 症状: 掛け算を、盛りすぎて、嘘になる。原因: 珍しく見せたくて、やっていない得意まで足している。一手: 掛けるのは、本当にある得意だけ。実話と失敗から拾えば、盛らなくても、じゅうぶん珍しくなります。
- 症状: まわりの完璧な発信と比べて、落ち込む。原因: うまさの土俵で、勝負しようとしている。一手: その土俵は、もう横一列です。比べるのをやめ、自分の座標に戻ります。ごろが川に沈んだあと、拾い上げた一枚が、これです。
- 講座なら、この章はまるごと一コマ(90分前後)になります。前半で「回った先の渇き→あったらいいのにの棚おろし」で気持ちを外へ向け、後半で「出る身支度→頼まれごとのさばき方」を手を動かして通す、二部構成が組みやすい形です。
- M3連載(15分動画)なら、各話がそのまま一本で、この章だけで三回ぶんになります。19-1「回った先の暇だな」、19-2「外で回す身支度」、19-3「頼まれごとの三つの道」と、玄関を出るまでの流れを三回で追わせると、物語としてつながります。
- 日経メディカルのコラムなら、各話にダミーデータ前提の医師向け切り口があるので、そのまま三回の連載に割れます。全体を貫くのは「回るようになった先に、外へ向かう活動がある」という一本の筋で、講演・執筆・後進育成に時間を回したい読者に届きます。
- 勉強会なら、各話の10分ワークを続けて回すと、全体で30分前後の一続きのワークになります。短くするなら、19-1と19-3の二ワークだけでも「あったらいいのにを出す」「頼まれごとを三つの道で並べる」の核は伝わります。
- どの形に切っても、外に向かって出すものは最後に自分の指で押す、という鍵だけは落とさないのが、この章の背骨です。
